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0泊3日?! はじめての京都弾丸ツアー(6) ~北野天満宮&二条城、そして帰途に~

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0泊3日?! はじめての京都弾丸ツアー(5) ~龍安寺&仁和寺~ (2012.03.13)
0泊3日?! はじめての京都弾丸ツアー(6) ~北野天満宮&二条城、そして帰途に~ (2012.03.14)


前号の続きです】

私たちが次の行先に選んだのは北野天満宮です。天神様と言えば、学問の神様である菅原道真公が祀られている神社のことを指し、福岡にある太宰府天満宮と京都の北野天満宮が本社とされています。
太宰府天満宮は前年のGWに初めて足を運びました。そして、この瞬間、私たちは天神信仰のもうひとつの本社に足を踏み入れることができたのです。

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北野天満宮

「北野の天神さん」と親しまれている北野天満宮は、天暦元年(947)に創建され、平安時代に学者・政治家として活躍した菅原道真公をお祀りしている。現在は、特に学問の神様としての信仰篤く、学問に勤しむ多くの学生が参拝に訪れる。国宝・本殿は慶長12年(1607)に豊臣秀頼が造営したもので八棟造と称され絢爛豪華な桃山建築。菅公が殊のほか愛でられた梅と紅葉の名所でもある。毎月25日は縁日で、境内には多くの露店が立ち並び賑わいをみせる。また、この日は宝物殿を特別公開している。

京都観光ナビより



天神様と言えば太宰府天満宮には所々に大きな牛の像がありました。また、北野天満宮でも同様に牛の像がありました。

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また、私の活動拠点の近くにある布多天神社(調布市)にも牛の像がありました。
下の写真は布多天神社のものです。

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天神信仰と牛との関係はWikipediaによると

菅原道真と牛との関係は深く「道真の出生年は丑年である」「大宰府への左遷時、牛が道真を泣いて見送った」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「道真には牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など牛にまつわる伝承や縁起が数多く存在する。これにより牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされ臥牛の像が決まって置かれている。

のだそうです。

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そして私たちが最後に足を運んだのが二条城です。

二条城(元離宮二条城)

1603年(慶長8)徳川家康が造営、3代家光が伏見城の遺構を移すなどして増築を行い1626年(寛永3)に現在の規模になる。東西約500メートル、南北約400メートルに塁を築き堀をめぐらす。1867年(慶応3)15代慶喜が大政奉還を決めた。現存する二の丸御殿(国宝)は6棟からなる武家風書院造。部屋の障壁画は狩野一門の名作。彫刻、飾り金具を含め桃山美術の粋を伝える。二の丸庭園(特別名勝)は小堀遠州の作。本丸御殿は天明の大火(1788・天明8)で焼失。現在の建物は京都御苑内にあった旧桂宮御殿を移築したもの(重文)。1994年(平成6)12月。「古都京都の文化財」として「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された。

京都観光ナビより



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二条城は、徳川慶喜が大政奉還を決め、260年間続いた江戸時代が幕を閉じることになった歴史的なスポットです。ちょうどこの年、NHKの大河ドラマは坂本龍馬、また奇しくもこの時期は田中哲司さん演じる徳川慶喜がかの決断を下した時期と重なりました。
ちょっと前にドラマで観たことが、ここで実際に起こったと思うとその感動はまたひとしおでした。

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二条城を出た時は既に日は西に傾いていました。二条城も閉園ということで名残惜しんで出たものですから、もう回れる寺社仏閣はほとんどありませんでした。
しかし、帰りのバスは23時30分発ですから、かなり時間を潰す必要がありました。
ひとまず私たちは京都駅に戻りました。
駅前をブラブラしていると、八条口からほどなく歩いたところに2日前にプレープンしたばかりのイオンモールKYOTOがありました。一週間後のグランドオープンに向けた準備期間といったところでしょうか。

イオンは私は東関東中心に展開してたスーパージャスコの頃から知っていますので、随分と大きくなったものだと感心しました。この不況期にしかも1000年の都の中心地にこんな大きなショッピングモールを建てるのですから驚きです。

イオンモールをぶらついても時間はまだまだあります。また駅に戻り駅構内の観光案内所の係員に相談したら「四条は賑やかだ」と聞き、地下鉄に乗って行ってみました。四条の商店街を一通り散策し、再び京都駅に戻ります。
ちょうど夕飯時でしたので、居酒屋で一杯やればバスで熟睡できるだろうという魂胆のもとに居酒屋を探しました。しかし…

京都駅近くには居酒屋はほとんどありません。

あれだけ大きな都市の大きな駅前です。東京駅ならば掃いて捨てるほど飲食店がありますが、京都駅前には私たちが探しても数軒しか発見できませんでした。もちろん、エレベーターに乗り込む時点ですれ違う人のがっかりした顔が見られ、当然のことながら「満員です」と門前払いを食らうのでした。私たちが探すのが下手なのか本当に少ないのかは分かりませんが、もしかすると京都駅前には居酒屋が開業するのが難しい事情があるように思えました。

居酒屋を諦めた私たちは、朝にお世話になったホテル京阪京都の隣にガストがあったのを思い出し、そこで夕食を取り、バスの時間まで待つことにしました。私が食したのはチーズインハンバーグのセット、別に京都に行ってまで食べるものではありませんが、やっぱりガストに行ったらね…という条件反射が私に当該メニューを頼ませたのでした。東京でも京都でも同じ味が楽しめるなんて当たり前と言えば当たり前ですが、考えてみると凄いことなんだと思わされます。
時間つぶしには最適にドリンクバーというシステムは、バスでの長旅を控えている私にとっては慎むべきもので、時間までコーヒーをちびちびと飲みながら過ごすことになりました。

帰りのバスはイオンモールKYOTOの隣にある新・都ホテルの前でした。近くにあるサンクスで少しばかりの酒を購入しバスに乗り込みました。そして翌朝の6時30分、バス内のカーテンを開けた私の目には新宿の高層ビル群が映りこんできました。バスは定刻通りに新宿駅西口に到着、私たちの0泊3日の京都弾丸ツアーは終わりました。


夜行バスのトイレ休憩。ここどこだ? 浜松だった / gabuken


よくぞこんな強行スケジュールを消化したものだという感慨と共に、京都は日にちをかけてゆっくりと見るもんだという両方の思いが交錯しました。でも、こういう旅もありかなと思ったのが旅の後の正直な気持ちです。
だって中学生の修学旅行の京都散策も強行スケジュールでしょうし、私は、約20年遅れの修学旅行を終えたのだと思えば自分自身を十分に満足させることができます。

懲りない私は今度は奈良でも行ってみようか!などと野心を抱いているのでした。



【0泊3日?! はじめての京都弾丸ツアー おわり】





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0泊3日?! はじめての京都弾丸ツアー(5) ~龍安寺&仁和寺~

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前号の続きです】

黄金に輝く金閣の感動も冷めやらぬうちに私たちは龍安寺に向かうことにしました。金閣から龍安寺までは「きぬかけの道」一本で繋がっているのですが、10分から15分に一本の割合で来るはずのバスがなかなかやって来ません。最初は私たちだけだったバス停も時間が経つほどに観光客や修学旅行生で溢れかえりました。

バスに乗ってから龍安寺まではさほど距離はありません。汗ばむほどの陽気の中を待つことを思えば歩いていけたかも知れません。
左に立命館大学を臨み、ほどなく龍安寺へとたどり着きます。

龍安寺

臨済宗妙心寺派。1450年(宝徳2)細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受け、妙心寺の義天和尚を開山とし禅寺に改めた。石庭として有名な方丈庭園(史跡・特別名勝)は三方を築地塀(土塀の屋根は柿葺)に囲まれた枯山水の平庭で、「虎の児渡しの庭」とも呼ばれる。白砂に15個の石を配した名庭。方丈の東庭には龍安寺垣があり、その横に秀吉が賞賛したと伝わる侘助椿がある。また、その東庭を隔てた東北隅にあるのが茶室「蔵六庵」である。1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された。

京都観光ナビより



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龍安寺に入るとモネの睡蓮を思わせる美しい庭園が広がっていました。睡蓮の花は午後になると閉じてしまうのでギリギリのタイミングです。

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龍安寺は世界遺産、他にも数多くの文化財がありますが、龍安寺が有名なのは方丈庭園ではないでしょうか。この枯山水の美しさが凝縮された石庭は、15個の石が5か所に敷き詰められ、この石はどこから見ても1個は隠れて見えないように設計されているのだそうです。

土曜の昼時、石庭を望む茶室には多くの観光客で賑わっていましたが、石庭だけは永遠の静寂を保っているようにも思えました。至ってシンプルでも美しいものは美しいのです。

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また徳川光圀が寄進したとされる蹲踞(つくばい、茶室に入る前に手を清めるため使われたもの)も見ることができました。私たちが見たものは複製ですが、真ん中の口を部首とした「吾唯知足」(われ、ただ足るを知る)の四文字を確認することができました。

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龍安寺を後にした私たちは、南に少し行ったところにある仁和寺に足を運びました。

仁和寺

真言宗御室派総本山。886年(仁和2)、光孝天皇の勅願により創建、888年(仁和4)に完成。年号を寺名とした。宇多天皇が落髪入寺し寺内に御室(御座所)を設け、御室御所とも呼ばれた。以後、明治維新まで代々皇子皇孫が門跡となり門跡寺院の筆頭にあった。堂塔伽藍は応仁の乱(1467-77)で多くを焼失、寛永年間(1624-44)に再興した。金堂(国宝)は御所紫宸殿を移築。御影堂(重文)も旧清涼殿の材を用いて建立した。霊宝館には、阿弥陀三尊像(国宝)、孔雀明王像(国宝)、弘法大師の真筆三十帖冊子(国宝)など多くの寺宝を陳列。遅咲きの‘御室桜’は有名で名勝。旧御室御所御殿の御所風たたずまい、豪華な襖絵が見事。1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された。

京都観光ナビより



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まず私たちの目に留まったのは道路ギリギリまでせり出した二王門です。450年ほど前に建立された門の両脇に鎮座する二王様のお迎えを受け、仁和寺へと入りました。

抜けるような青空に、古寺と木々の緑、そして美しい庭園が見事に調和しています。このことからも日本は自然と戦ってきたのではなく共存してきた民族であるということを感じることができます。

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そして右手には五重塔。高さにして36メートル。1644年に建立された当時としてかなりの高層建築です。建立からこれだけの時間が過ぎたにも関わらず、未だ健在なのは五重塔の設計思想にあると聞いています。五重塔の設計思想は世界最大の自立鉄塔である東京スカイツリーにも採用されていると言いますから、当時の技術力には驚きです。

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そして金堂です。

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寺社仏閣はパワースポットとしての注目も高いですが、観光客がこれだけ賑わう中、私の中で最も心が鎮まり、静けさを感じることのできるお寺でした。

余談ですが、仁和寺という寺の存在を知ったのはいつでしたか?
私は中学生の頃の国語の授業、それも古文、兼好法師の徒然草の一節である「仁和寺にある法師」を習ったときでした。


仁和寺に、ある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。

すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。

要約すると
「仁和寺のある法師が、年を取るまで石清水八幡宮を拝んでいないのを残念に思い、あるときお参りに行きました。実際石清水八幡宮の山の上に本殿があるのですが、下院の極楽寺や高良社を見て満足し帰ってきてしまいました。
石清水八幡宮を拝むのになぜ本殿まで行かないのか!だから先達(案内人)は持ちたいものですね」
という感じでしょうか。

本文の、法師の言葉「尊くこそおはしけれ」「こそ」が係助詞、「けれ」が已然形になっており、私たちはここで初めて「係り結びの法則」を習うのです。

ある法師さん、私は石清水八幡宮をこの目で見たわけではありませんが、仁和寺も十分に素晴らしいお寺でしたよ!


次号に続きます】







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0泊3日?! はじめての京都弾丸ツアー(4) ~黄金に輝く金閣寺~

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前号の続きです】

京都駅八条西口前の「なか卯」でブランチを済ませた私たちは北山方面に向かうことにしました。お目当ては何と言っても金閣寺(鹿苑寺)です。
京都に数多くの寺社仏閣があり、それぞれに歴史と物語があると言っても、黄金に輝く金閣寺の美しさは群を抜いてると思います。

小さい頃は、アニメ「一休さん」で一休さんが将軍様に謁見し、将軍様をあっと言わせる場所が金閣寺でした。
そして、文学作品では何といっても三島由紀夫の金閣寺 (新潮文庫)、1950年に実際にあった金閣寺放火事件を題材に描かれた名作です。この作品においては美の象徴であり極致が金閣寺だったです。

私の中でこの京都弾丸ツアーの一番のお目当ては金閣寺でした。燃やしたくなるほどの美しさを自身の目で確かめ、感じたかったのです。
金閣寺までは少し距離があります。バスの車窓から京都の街並みを眺めました。794年に都となった京都は1000年を経た現在も日本有数の大都市です。多くの寺社仏閣を擁する歴史的な都市ではありますが、現代都市としても十分に機能しているように思えました。
車内アナウンスの「お乗り換えです」のイントネーションが東京都は違っていたことも興味深かったです。

鹿苑寺(金閣寺)

北山と号する臨済宗相国寺派の別格本山で、足利義満が応永4年(1397)に営んだ山荘・北山殿を、その死後、禅寺に改め、義満の法号をとって鹿苑寺と名付けたものである。  金閣(舎利殿)は、宝形造り(ほうぎょうづくり)こけら葺きの山荘楼閣で、初層は藤原時代の寝殿造り風、第二層は鎌倉時代武家造りの仏間風、第三層は禅宗仏殿風の様式をとり、二層、三層とも漆塗の上に金箔を押してある。昭和25年(1950)に焼失し、昭和30年(1955)に再建され、さらに昭和62年(1987)に金箔張替修理が行なわれた。  壮大な池泉回遊式庭園は、特別名勝に指定され、池の北方には、萩の違い棚と南天床柱で名高い茶室・夕佳亭(せっかてい)がある。北区金閣寺町

京都観光ナビより



バスを降り、総門をくぐると私たちを待っていたのは、澄み切った青空と湖面を煌々と照らす金閣でした。(正確には鹿苑寺の舎利殿のことを指します。舎利殿を通称金閣と称し、鹿苑寺を通称金閣寺と言うようです)

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中東や西ヨーロッパで紹介される黄金宮殿をテレビで観た際、そのまばゆい光と存在感に圧倒されることがありますが、同じ黄金でも金閣はまた異なった韻書を受けました。きっと金閣は、好天の日も、曇天の日も、雨天の日も、そして雪化粧をしてもまた異なった輝きを放つのではないかと思います。
金閣が放つ黄金の輝きは室町時代最盛期の将軍、足利義満が握っていた権力と信仰の象徴とも言えますが、その輝きは決して主張することなく、周囲の緑、鏡湖池に浮かぶ小さな島々が調和しひとつの世界を作り上げていました。
これは池泉回遊式庭園と言う日本庭園のひとつの形式なのだそうです。すべて計算ずく…、日本古来の文化の凄さを思い知らされます。

金閣が最も美しく見えるのは鏡湖池の対岸だと思います。時間は午前11時を指していましたし、土曜と言うこともあり修学旅行の一行、そして観光客で混雑していました。中でも目立ったのは中国人の観光客です。皆が皆そうではないと信じたいですが、大声での会話、割り込んでの写真撮影、体がぶつかってもお構いなしの態度は非常に残念に思いました。

日本もバブル時代は西欧諸国に旅行してはブランド物を買い漁る姿が報道されていました。行儀こそそれほど悪くはなかったと思いますが、大挙して押しかけてやたらと写真を撮りまくる姿はかつての右肩上がりの経済成長を謳歌した私たち日本人の姿と重なりました。

鏡湖池をぐるっと回っても、金閣は変わらぬ美しい顔を私たちに見せてくれます。

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黄金でありながら奥ゆかしい美しさ、これは映像や写真では伝わってきません。「百聞は一見に如かず」と言うように自身の目で見て初めて実感できるものだということを痛切に感じさせられました。

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私たちは順路に沿って境内を回りました。修学旅行の生徒と同行していたボランティアとおぼしきガイドさんの詳しい解説に耳を欹てながらゆっくりと歩き、最後は不動堂をお参りして金閣寺を後にしました。

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遠くなってく金閣、黄金の輝きは緑に隠れていき、最後は屋根に聳えたつ鳳凰のみしか見えなっても金閣はその美しいオーラを放っていたように思えました。

次は、近隣の龍安寺、仁和寺を回ります。



次号に続きます】





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0泊3日?! はじめての京都弾丸ツアー(3) ~京都霊山護国神社、龍馬とパール判事~

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前号の続きです】

朝一番で清水寺での参詣を済ませると、北に向かいます。江戸時代の風情が漂う二寧坂の石畳の上を歩いていきます。時間は朝の8時、まだ早いせいか人通りも少なく、店もほとんど空いていません。土曜でしかも晴れの日ですからもう少し経てば観光客で賑わうかもしれません。

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私たちが辿り着いたのは、京都霊山護国神社です。

京都霊山護国神社

幕末の動乱期に活躍した維新の志士たちを奉祀すべく、明治元年に「霊山官祭招魂社」として全国で初めて創立された。昭和14年京都霊山護国神社と改称。境内には坂本龍馬、中岡慎太郎、桂小五郎を始めとする墓石、慰霊碑の他、従軍記念公園「昭和の杜」がある。近接の霊山歴史館では明治維新関連の資料文献を展示公開している。
創立:明治元年5月10日

京都観光ナビより



幕末は日本にとって激動の時代でしたが、都である京都はそれがために多くの血が流れました。今でこそ歴史と現代が融合した大都市である京都は常に歴史のうねりの中心にあったのです。
国のために殉じた人々を祀り、その功績を代々伝えていこうというのは当然の流れだと思います。この護国神社は幕末の志士を祀った最初の場所だと言います。

護国神社には、幕末に活躍した坂本龍馬、中岡慎太郎、桂小五郎の墓などがありました。
この年(2010年)のNHK大河ドラマは『龍馬伝』、福山雅治さん演じる坂本龍馬が人気を博した時期、普段は相当混雑しそうですが幸運にもこの時間に墓所に居たのは私たちだけでした。

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そして、平成11年に建てられたラダ・ビノード・パール判事の顕彰碑も見てきました。パール判事は東京裁判(極東軍事裁判)の際、連合国側の判事でありながら、ただ一人被告全員の無罪判決を下したことで知られています。
歴史認識に関しては互いに相容れない思想を持った人たちがまるで「ねじれの位置」のような議論を繰り広げていますが、その思想を決するのは「東京裁判をどうとらえるか」という点にあると思います。
パール判事は、戦勝国の論理で日本の戦犯と呼ばれている人たちが厳しく裁かれていく中、東京裁判のあり方に異を唱え、敢えて「全員無罪」という勇気ある判決を下したのです。

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顕彰碑に刻まれた碑文を一部抜粋します。

「パール博士は、法の心理と、研鑚探求した歴史的事実に基づき、この裁判が法に違反するものであり、戦勝国の敗戦国に対する復讐劇に過ぎないと主張し、連合国側の判事でありながら、ただ一人、被告全員の無罪を判決されたのであります」



人類の歴史は、血で血を洗う戦いの歴史です。これは万国例外のないことだと思います。対話によって解決できることが理想ですが、それが如何に困難であることかは歴史が十分に証明しています。ただ言えることは戦地に赴いた人は、愛する人、愛する家族、愛する郷土、そして愛する国、すなわち大切なものを守るために戦ったということです。これは、かの太平洋戦争においても同様です。
どうも、昭和初期の歴史となると教科書であれ何であれ、他国を侵略し軍国主義に傾倒した暗黒の時代として描かれている場合が多いのです。それこそ東京裁判によって刷り込まれた「勝者の論理」ではないでしょうか。

パール判事の判決、残した言葉をひも解けば、もう少し昭和初期の歴史に対する違った見方ができるかも知れません。

私たちは再びバスに乗り京都駅に戻りました。京都駅構内は広く吹き抜けとなっており、射し込む日差しが構内を明るく照らしていました。

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この時気付いたのですが、エスカレーターの乗る位置は関東は左側、関西は右側のイメージがありましたが、京都の人も左側に乗っていますね。大阪とはさほど距離は遠くないはずですが、エスカレーターの乗り方ひとつとっても、京都は関西地方でもまた異空間なのかも知れません。

時間は朝の9時半、まだ午前中とは言っても寺社仏閣は夕方になると閉まってしまいますから、急がなくてはいけません。
八条西口前に「なか卯」がありましたので、遅めの朝食を採り、次は北山文化を代表する金閣寺を目指すことにしました。



次号に続きます】





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駅の通路を抜け、中央口に出ると名物の京都タワーが聳えていました。

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京都観光一日乗車券を購入し待つこと10分ほど、私たちは清水寺へと向かいました。
最初に清水寺を選んだのは早朝6時から拝観ができるからです。
まずは清水寺を拝観し、京都の東側を回れるだけ回り、京都駅に戻って遅い昼食を採ってから北山(西側)に向かう算段でした。
バスを降り、五条坂を登ると見えてきたのは清水寺の仁王門でした。

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清水寺

北法相宗の本山。西国観音霊場三十三カ所第16番札所。778年(宝亀9)延鎮上人が開山、798年(延暦17)坂上田村麻呂の創建と伝える。音羽山中腹に30近い堂塔伽藍が並ぶ。現在の主な堂塔は、1633年(寛永10)徳川家光の再建。‘清水の舞台’で知られる本堂(国宝)は寄せ棟造り、檜皮葺、寝殿造り風の優美な建築で、十一面千手観音立像を安置。舞台の下方に音羽の滝、谷を隔てて安産祈願の子安の塔(重文)がある。ほかに仁王門、馬駐(うまとどめ)、鐘楼、西門(さいもん)、三重塔、経堂、田村堂、轟門、朝倉堂、釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院など重文指定の建造物がいらかを連ねる。1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された。
建立:現本堂1633(寛永10)年再建 創建798(延暦17)年、平安時代初

京都観光ナビより



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昔から、覚悟を決めることを「清水の舞台から降りる」と例えられますが、私は初めて清水の舞台の上に立つことができたのです。

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この日は晴天に恵まれ清水の舞台からは目覚めたばかりの京都の街並みが一望できました。この本堂は江戸時代の再建だそうですが、1000年以上も京都に根付いている清水寺の醸し出す雰囲気に私は圧倒されていました。


次号に続きます】








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