私たちは災害と常に隣り合わせている
2017年、関東の梅雨は、それなりに雨は降っているけれども、夏のような快晴の日も多く、それはそれでメリハリの利いた天候であるとも言えそうですが、梅雨にありがちのジメジメした蒸し暑い感じとはちょっと程遠い日々を過ごしています。
そんな中、九州では豪雨による甚大な災害が発生し、未だ天候回復や復興の目途も経っていないと心の痛むニュースが報道されています。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々へのお見舞い、ならびに、被災地の復興を心より願っております。
2011年の東日本大震災しかり、これだけ文明と科学が発達した時代にあっても災害の前には人は無力であることを思い知らされます。大自然の驚異は、人類の挑戦をいとも簡単に跳ね返してしまいます。だからこそ、先達は、災害を受け入れ寄り添う形で生きてきたに違いありません。かつて、「日本の都市は無計画が過ぎる。それに引き換え西洋は石造りの何百年先を見据えた都市づくりをしている…」というくだりの文明論にお目にかかったことがありますが、定期的に自然災害ですべておじゃんになる日本で、そもそも年百年先を見据えた都市計画など立てられるはずもなく、もし災害が起こっても原状回復すなわち素早く復興が完了する街づくりを目指したのです。
陸上自衛隊 東京消防庁 警視庁 立川防災航空祭 2013 / Инариский
しかし、現代にあっては、自然災害を未然に防ぐ、もしくは被害を最大限に抑える街づくりが必要。それでも予想を上回るのが災害の脅威なのです。備えあれば憂いなし。過剰に神経質になるべきでもありませんし、神でもないのですからリスクゼロはあり得ません。しかし、「備えあれば憂いなし」。想定できるリスクはできる限り潰しておく必要があると思います。
また、南海トラフ地震や富士山噴火など今後考えられる甚大な災害に対しては、お役所任せにしておくのではなく、自分の身は自分で守る気概で備えるべきだと思います。いざ災害が起こった際の、避難経路や連絡手段の確保、混乱がひと段落し、ライフラインが回復し始める数日間を乗り切る水や食料、排泄など生理現象に対応しておけば少なくともトラブルを起こしたり巻き込まれることはありません。そして自身が用意していた分の救援物資が他の人に回ることで、一人でも多くの人命を救うことにもつながるのです。
こと大都市に関しては、避難場所に大挙押し寄せられても到底対応できませんし、避難場所よりもよほど堅牢な建物も多く、避難される方が却って危険が広がる場合もあります。なおされ、自身による対応力が試されるのです。
今、九州では懸命な救出作業が続いていると報じられています。災害大国日本にいる限り、災害のリスクは誰にでもあり、決して他人事ではないのです。いつ何時訪れるか分からない災害に対し過剰に恐れることはありませんが、いざ起こった場合の対応は常に念頭に置く必要があると思います。災害を生き延びること、それこそが、不幸にも犠牲になった方々の死を無駄にしない、そして供養にもつながるのだと信じています。
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