知っとっけ?ブログ 「母校がなくなる」ということ

「母校がなくなる」ということ



つい先日、私が卒業した小学校が統廃合により消滅することを知りました。卒業してからちょうど30年が経っているとはいえ、母校であることには変わりなく、とても寂しい思いをしています。

この小学校は、当時は街のはずれに開発されたニュータウンにできた新設校。私が小学校2年生の時に転入した頃には校舎はまだ未完成で、3年生のときには図工室をべニア板で仕切って3組と4組に分かれていました。3組で図画や習字の作品をその板に画鋲で留めようものなら、4組の壁にその針が突き抜ける有様でした。のちに校舎は完成したもののプールができたのは私が卒業してから。いわゆる「カラーテスト」と言われるものは、なぜかわら半紙に印刷したもので、よく削られた鉛筆やシャープペンシルでも使おうものなら紙に穴をあけてしまうほどでした。当時から市の財政が厳しいと言われていましたが、校舎の新しさとは裏腹に設備は悲しいほど整っていなかったことを記憶しています。

市川学園旧校舎
市川学園旧校舎 / naosuke ii


これだけ時間が経っていながら、楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、今でも腹立たしいこと、思いが尽きることはありません。この濃密な時間に経験したことは、私の人格形成に多分な影響を及ぼしていることは間違いなく、よくも悪くもその小学校が私という人間を形作ったと言っても過言ではありません。

そんな母校も、私のような団塊ジュニアのピークの世代は溢れんばかりの1学年4クラス。児童数も900名近かったと思います。今は、1学年1クラスを維持するのがやっとのようです。それならあの校舎なら持て余すでしょうし、私が所属していた少年野球チームや、当時熱をあげていたサッカー少年団は試合が成り立つのがと心配になってしまいます。これからさらに生徒数が減るのは目に見えていますし、たかだか100名の生徒のために、1,000名のキャパのある校舎を使うのは財政的にも大赤字ですので、統廃合が検討に上がるのは当然のことと言えます。

学生時代の思い出は、多くの人にとっては人生の宝物。当然のことながら母校愛もその宝物のひとつです。しかし、そんなエモーショナルなことばかりも言っていられないのが現実。残された子供たちが通学にかかる負担をできるだけ緩和するような方策を考えていただきたいと思います。

高度成長期に、こぞって作られたニュータウン。私が、20代前半の時期を過ごした多摩ニュータウンは、90年代後半から街の高齢化が進み、同時に小中学校、高校の統廃合が進みました。ですから、出身の幼稚園から高校まで統廃合でなくなってしまった人もいるほどで、私自身は「大変だな~」と思いつつも何か他人事のように思っていました。しかし、それが今、私ごとになろうとは…。

私が所属した小学校は、そのまま全てが同じ中学校に持ち上がります。その中学校も統廃合されるようですが。しかし、私は受験したため別の中学校に進学しましたし、その2年後に別の場所に引っ越してしまいました。ですから、当時の同級生とはほぼ音信不通ですし、今までの間に「●●周年記念式典」があったかも知れませんがまったく分かりません。将来同窓会があったとしても私の連絡先を知る人はいないと思いますので、これからも、当時の思い出を語り合うことはないでしょう。

でも、やっぱり母校であることには変わりありません。これから日本も人口減が急速に進み、学校の統廃合は進んでいくでしょう。きっと、母校がなくなる人が続出することは間違いありません。寂しいですがそれが現実。学校がなくなっても思い出や人のつながりが消えることはありません。本来はそれを大事にするべきだったのですが、疎かにしてしまいました。ちょっと後悔しています。







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